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「演説の条件」をみて考えたこと-3つの断片

松本奈々子

断片1

「演説」と聞いてイメージする場面。

演説者が高いところに立ち、観衆をみわたす。演説するそのひとは大胆に喉を震わせ、言葉を口から発する。大袈裟な身振り手振りとマイクでそのことばは遠くまで拡散され、集まったひとびとの身体を響かせる。周囲に集まった人々は、腕を突き出したり、声をあげたりして応援、賛同あるいは反対の意、を示す。

鶴家一仁ソロ公演『演説の条件』でわたしがみたのは、「演説」の条件としてイメージするこの形式からは、かけ離れたものだった。

上演はとてもシンプルに構成されていた。ダンサーの鶴家一仁さんが既存の「演説」のテクストを発話しながら、身体を動かす(ダンスさせる)のを繰り返す。場所は、コ本屋という本屋さんのいちスペースで、観客席も、演説の教壇も設えられていなかった。真ん中に大きな長机があり資料がコピーされたA4の紙が何枚も置いてあった。私をふくめ多くの観客は壁沿いに立つか地面に座るかを選んでみていた。鶴家さんは座るひとたちと、その机の間を縫うように歩き回り、上演は進む。

印象的だったのが、鶴家さんが発話する言葉が、鶴家さん自身の身体のなかで響いているようにみえていたということだった。たとえ大きな声で発話していたとしても、「演説」として、外へと向かう言葉として書かれた言葉が、そうでないものに聞こえた。そして、意味で満たすことができないような身体がそこにあらわれていた。その多くは力んでいたがどれもしなやかで、納得している感じがあった。その目の前にある身体について、その身体をもつひとの思考について、想像したいという気持ちが湧いた。言葉や論理として説明されうるものでなくても、身体や身振り、声や動作としてあらわれていくものでも、どちらでもよいのだが、鶴家さんの身体によってなにかしらの知的な作業、思考が編まれていく予感があった。場所が本屋さんだったということも関係していたのかもしれない。

 

断片2

今回、鶴家さんが発話していたことばは、最後の語りを除けばすべて過去の演説文だった。入り口で受け取った当日パンフレットに、各演説文の説明が記載されていた。以下に、タイトルだけ並べてみる。

ペリクレースの戦没者追悼演説、福沢諭吉『学問のすすめ』(1872年)、ジョン・ボイエガ「ジョージ・フロイド・プロテストに際して」(2020年6月3日の演説)、アリストパネース『女の議会』(B.C.390頃、古代ギリシャの戯曲)、ゲオルク・ビューヒュナー『ダントンの死』(1835年、戯曲)、田中角栄「1972年 総選挙遊説記録より」(1972年12月の演説)、ベルトルト・ブレヒト『アルトゥロ・ウイの興隆』(20世紀半ば頃の戯曲)、シルヴィア・リヴェラ「クリストファー・ストリート・リベレイション・デイ・ラリーに際して」(1973年6月24日の演説)

この8つには、為政者による演説も、マイノリティが自らの権利を訴え連帯するための演説も含まれている。時代や、場所や国、野外か劇場かといった空間的な状況もさまざまである。わたしは、この演説文の説明を読みながら、ある人が何かを演説するということが、固有の歴史的流れや人間関係や空間的配置や発話者の身体性という条件を巻き込みながら、ようやく成立した瞬間であることを思った。

今回鶴家さんの作業を媒介して、わたしといういち観客は、過去の演説のことばと出会ったのだけれど、総じてこの「演説」のことばたち、この「演説」のことばがよって立つ運動や思想、そこにいた人々、それらの具体的な出来事(固有の「社会」)にたいする圧倒的な距離感を感じた。

もしかするとすべての演説が日本語だったからなのだろうか。福沢諭吉は「演説」という概念や手法を輸入したという。そう、「演説」はそもそも距離がある手法なのであった。

 

断片3

この公演は最後に、鶴家さんが自分についての言葉を語り、終演した。

鶴家さんは、これまでの「演説」のことばと同じように、自分のことばを「他者」の言葉のように自分の内に響かせることで、観客と「距離」をもって関わっているようにもみえた。鶴家さんの身体から漏れでるように、響く言葉。これも「演説」といえるのか。過去の演説文ではなくなったとたんに、不安になる。けれど、タイトルが「演説」といっているのだからそうなのかもしれない。そう思ってみていた。本屋さんの片隅で、わたしは地べたにすわり、壁にもたれ、日本語で発話されていることばを「演説」として耳にしている、そういう体験だった。

公演演期間は都知事選の選挙期間と重なっていたので、東京の街には「演説」が溢れていた。パレスチナ連帯集会も、各地で行われていて、そこでも「演説」がおこなわれていた。これらが起きている街に出ると「演説」という手法は、もうとっくに日本語を話すわたしたちにとって距離がある手法であると簡単にはいえなくなっているのかもしれない。けれど、鶴家さんが語るラストシーンは、そういった具体的な社会的・歴史的な状況から、時間的にも空間的にも距離があった。

ある「社会」に常に巻き込まれていて、そのことについて考えないという選択肢はなく、もはや距離をとることができない人々がいる。いっぽう、「社会」から距離をとることができて、巻き込まれるかどうか選ぶことができる人々がいる。この作品のように、「演説」というきわめて政治活動や社会運動と近しくもあるものを、それらの活動・運動から大きく距離をとってみせるとき、そしてそれをみるとき、ここにはどのような「社会」があらわれうるのだろう。鶴家さんの身体の力みが、「演説」という手法そのものの着心地のわるさに起因していたのだとしたら、そのしなやかさは、納得してどこかにいこうとしているその身体の思考や想像力を介して、わたしたちはどのような「社会」を想像していたのだろう。

​松本奈々子

ダンスアーティスト。

近年は 「チーム・チープロ」の共同主宰としてダンス作品の制作に取り組んでいる。綿密なリサーチをもとに執筆したテクストを用いるパフォーマンスでは、歴史・社会的な文脈と、自身の身体感覚や記憶との交差を扱う。近年は、ある場所にかかわる複数のイメージを身体に重ねることで変容する「妖怪 body」を探求している。

2023-2024年度セゾン文化財団セゾンフェローI。

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