
私たちはまだ、演説の身振りを知らない
—— 鶴家一仁ソロダンス公演The Speech Condition@theca
(コ本やhonkbooks)2024年6月29日の記録
はじめに
なぜあえて、「劇評」でもなく「論文」でもなく、「記録」を書こうと思ったのか。それについて最初に話しておきたいと思う。
演劇やダンスは、演者と観客とが同じ時を共有する場で成立するものだ。それが成立するひとときは、上演されるやいなや消え去ってしまう。それはあらかじめ完結して閉じた「作品」として、観客の前に差し出されるのではない。観客に受け取られる瞬間に生成する出来事だ。それで演劇学者エリカ・フィッシャー=リヒテは、演劇を「作品」としてではなく「上演」として捉えることを重視した[i]。その「上演」という束の間の出来事は、記録映像にも記録写真にも、断片的にしか残らない[ii]。記録映像を見ることは上演の経験そのものではないのだ。
出来事に立ち会った観客が何を受け取ったのかを記録するには、その人が等身大の一参加者として何を見聞きし、感じたのかを書き記しておくことがとても重要だ——それさえ言語というメディアで伝えられる、不完全な記録に過ぎないとしても。でも、その記録の大半を担っている「劇評」や「論文」では、観客の視点が均質化されてしまう。「プロ」の書き手には「客観的」な視点が求められ、特異な一個人として振る舞うことはできない[iii]。でも実際には、ひとりひとりがそれぞれの経験を経て上演の場にたどり着き、個々の生の一部としてそこでの出来事を経験している。その場の空気やそれを取り巻くその時代の出来事、街の空気、実生活と舞台とのあいだに、ひとりひとりが紡ぎ出す糸がある。ほんらい、演劇やダンスの上演というのは、そうして紡がれた糸の集積ではないだろうか。それは常に場外の空気にさらされ、そのノイズに揺さぶられ、また逆にそれを揺さぶろうとしながら運動を続け、絶えずかたちを変えていく。(だから演劇学者のゲラルト・ジークムントは「上演」を「状況」に広げて演劇を捉えようとした[iv]。)
私がここで試みたいのは、評論家の「劇評」でも研究者の「論文」でもなく、ひとりの観客として、ただ一本の糸を紡ぐことだ。私がここで書くことは、一般化することのできない、ひとりの人間の過去や現在、未来と密接に関わっている。それは「劇評」や「論文」では捨象されてしまうものだ。でも、私が立ち会った上演との、その一般化できない関係こそを記録しておきたいと思った。それこそが、上演の生だからだ。とりわけ今回の鶴家の公演は、そうした側面を抜きにしては語れないものであるように思われた。おのおのに紡がれた糸を集めて織物にしていく作業は、またのちの人たちの手に委ねたいと思う。
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The Speech Condition ——「演説の条件」と名付けられたその公演を目当てに江戸川橋「コ本や」の階段を上ったのは、2024年の東京都知事選を一週間後に控えた土曜日の午後だった。街中の選挙ポスターに並ぶ、いくつかの若々しい顔。まだ記憶に新しい、杉並区長の交代と大きな方向転換。ひょっとしたら、今度こそ都政も大きく変わるのではないか?という期待が、いくらかの現実味を帯びて感じられたのだ。そのときはまだ。
そして2025年のいま私は、そのとき変わらなかった東京の片隅で、ドナルド・トランプに振り回される世界のニュースを日々浴びながら、いくつかの資料を手がかりに、その日の記憶をたぐり寄せている。
江戸川橋駅で降りるのは初めてだった。雨上がりの見知らぬ街。いくぶん浮き足だった気持ちで、ちらほらと店が並ぶ住宅街を通り、だいぶ歩いたところで、茶色いタイル張りの古いビルに「コ本や」の看板を見つけた。階段を上った先の店内には、カラフルな装丁のzineや少し色褪せた古本が所狭しと詰めこまれている。いったいどこに踊れるスペースがあるのかと思ったが、本棚の林を抜けると、奥にちょっとしたスペースがひらけていた。
きれいに塗られた白壁にはホワイトキューブっぽさもあるけれど、ニッチのような壁のくぼみがいくつか設けてある、でこぼこした空間だ。その真ん中に、何やら細かい字の印刷されたA4用紙が散らばった木のテーブルが一台。「観客席」らしきものはない。観客の数には到底足りない数の椅子がぽつぽつと置いてあるだけだ。しばらく空間内をウロウロしていた観客たちは、なんとなく遠巻きにテーブルを囲むようにして散らばり、思い思いの場所に落ち着いた。その様子は、人間の居場所があらかじめ整えられた室内というより、むしろ路上のようにも見える。街頭演説を聴きに集まってきた人たち、のような。ただし、本がびっしりと詰まった棚が一面を占めるこの空間では、過去に書かれ、読まれてきた言葉の蓄積が、物理的な存在感を主張している。集まった人々は、「路上」にいながらにして本屋のお客でもある。演説する人、聴く人それぞれのうちに、それぞれの言葉の蓄積があるのだ。そんなことをふと思う。
その日の「ダンス公演」は、そんな「街頭」の一角でひっそりと始まった。ざわめく観客に入り混じるように、白い詰襟シャツの男 —— ダンサーの鶴家一仁 —— がふらりとやってくる。そして、部屋の隅に腰掛ける。私の立っているところからは死角になっていてよく見えない。見えるのは、壁に大きく映った彼の影だけだ。口元が見えないのでよくわからないが、観客のざわめきの中では聞こえるか聞こえないかくらいのかぼそい声で、壁に向かって何事かをぼそぼそとつぶやいているようだ。それがどうやら開演の合図だったらしい、と、まだウロウロゴソゴソしていた観客たちが気づいたのは、少し経ってからのことだった。鶴家の座る奥まった一角をのぞきこむ人、指差す人。そして静まり返った空間に、ひとりごとのつぶやき声だけが微かに響いた。
「私たちは——」
死角に潜んでぶつぶつとつぶやいていた白シャツの男は立ち上がり、丸い目で観客の顔をぐるりと見回すと、中央のテーブルの脇に立ち、腕を振り下ろす身振りをつけながら、前のめりになって演説しはじめた。ついさっきまで部屋の隅に向かってひとりごとをつぶやくばかりだった男から、突然の二人称複数形で、「私たち」と括られた聞き手の私は、いささかぎょっとした。
私たちは、素朴な美を愛し、堕落することなき知を愛する。私たちは富を行動の礎とするが、いたずらに富を誇らない。貧乏は恥ではないが、そこから、抜け出す努力をしないことは恥である。そして自分たちの財布同様に、国家の財布にも気を使い、自分の生業の腕を上げながら、国の行く末にも関心を持つことが大事である——
各々の観客を眼差しながら、前のめりに続ける男の「演説」に、主語として登場する「私たち」。訴えかける彼の声に耳を澄まし、見開いた彼の目に眼差される「私」は、そこに半ば暴力的に組み入れられる。男の語る言葉に同意できる部分も全くゼロではないけれども、彼が一方的に定義する「私たち」の中に突然組み入れられる違和感はぬぐえない。
入り口で手渡されたパンフレットを見ると、この公演で引用されると思しき数々の演説の出典元と短い解説が記されていて、いちばん最初には「ペリクレースの戦没者追悼演説」とあった。民主主義の祖、古代ギリシアの人だ。ただし、この頃の民主主義は、まだ特権階級だけのものだった。女性も奴隷もそこには含まれていない、同質的な男性市民だけのコミュニティ。だから彼の言う「私たち」には、特権階級の誇りと排他的な仲間意識が滲み出ている。そこからあらかじめ排除されていることを、現代日本女性の「私」はただちに直感したのかもしれない。でも一方で、「私」は古代ギリシアの知を含む学問を学ぶ特権を手にした、「知を愛する」者でもある(「特権」という言葉が適切でないなら、「幸運」と言ってもいい。とにかくこの社会には、個人の努力だけではどうにもならない壁があるということを、私は知ってしまっている)。民主主義というものに向き合う作業は、やっかいだ。それは、東アジアと西洋、女性と男性、古代と現代、知的言語と身体を行き来する「私」のなかの、この分裂に向き合うことでもあるからだ。
ペリクレスの言葉を続ける男の語りは、次第に機械じみた繰り返しになっていき、身振りはスピードを増すとともに狂気を帯びてくる。目は空を滑り、聴衆はもはや眼中にないように見える。繰り返される単語の組み合わせはだんだんでたらめになり、もはや元の意味をなさなくなっている。でも一方で、表面的な印象だけを追うなら、それは「流暢」で「情熱的」な演説にも思えるかもしれない。概念をひとつひとつ確実に措定していくかのような、虚空に手を置く身振り、その概念を操作するかのような、流れる手の動き。次々と素早く繰り出されるそれらの動きは、あたかも複雑な言説を自由自在に展開しているかのようにも見えるのだ。2025年4月の今、私はそんな空疎な流暢さをいくつも見かけたような気がしている。
動きを止め、男は汗だくで息を切らす。彼が黙り込んでいるあいだ、スピーカーから『学問のすすめ』の抜粋が淡々と流れる。
演説とは英語にてスピイチと言い、大勢の人を会して説を述べ、席上にてわが思うところを人に伝うるの法なり——
「演説」という日本語訳を考えだしたのは、福沢諭吉なのだそうだ。西洋文化を輸入するときに、民主主義に欠かせないものとして福沢が強調したもの。それが演説だった。
——譬えば今、世間にて議院などの説あれども、たとい院を開くも第一に説を述ぶるの法あらざれば、議院もその用をなさざるべし。
スピーカーから響く古めかしい言葉が、福沢の理想と現代の私に見える景色との間に距離をつくっているのにも似て、「スピイチ」は、150年の時を経てなお、まだどこかよそよそしい輸入品のままだ。特に、政治の場では。——今から10年ほど前、安倍政権下で安保法制問題が取り沙汰されていた頃、私も大学の政治集会で短い「スピイチ」をしたことがある。人前で話すのは得意ではないけれど、仕事柄いつもやっていることだ。しかも場所は慣れ親しんだ母校だ。なのに聴衆の前に立ったとき、自分でも驚くほどに、膝の震えが始終止まらなかった。意思に反して暴走するあの膝のこと、制御できない異様な力のことは、今でも忘れられない。私の国の政治スピイチには、おそろしいほどのエネルギーが必要だ。小さな集会の短い登壇でも、終わった瞬間崩れ落ちそうになるくらいに。
福沢の言葉が止んだ部屋の壁に、熱気に満ちた集会の映像が無音で映し出される。曇り空の広場。マスクをつけ、携帯カメラを差し出す無数の聴衆を前にして壇上に立ち、メガフォン越しに叫ぶ黒人男性。俳優ジョン・ボイエガによる、Black Lives Matterに連なる演説だ。2020年、アメリカで、ジョージ・フロイドというひとりの黒人男性が不当に拘束され、殺害された。無音の映像からは、壇上の男性が何を叫んでいるのかわからない。それでも、何らかの強い衝動が、壇上の男性を動かしていることが察せられる。無音であるがゆえに、純粋にその身振りから読み取られうるものが前景化する。振り上げられた指先が指し示す先を肯定するかのように、腕と同じリズムで力強く縦に振られる首。フードからのぞくドレッドヘアの前髪と鋭い眼光。大観衆に自分の言葉を訴えるために、大きく開かれた口。そうやって迷いなく突き進んでいるかのように見えた彼は、演説の途中でいちど顔を歪ませ、顔を覆って前に崩れ、また顔を上げて腕を振り上げる。怒り、憤り、悲しみ、怖れ、彼を動かしているのは、そうしたものが混じり合ったような衝動だろうか。
——その画面の前を、重心の定まらない、脱力した鶴家の身体がゆらりゆらりと横切っていく。映像の光を身に受けながらも、それには無関心な様子で、無言のまま、無表情に。街頭演説によって人々が動く社会と、動かない社会との深い断絶。私の国で、これまで何度も見せつけられてきた現実だ。ここでもまた、私自身のなかにある分裂を突きつけられる。自分を含む誰もがどうしてボイエガになれないのかという、自責にも似た情けなさと、画面前の無気力そうな身体(からだ)遣いにいらだちつつも、むしろそちらのほうに親しみを覚えてしまう感覚。
ところが、この弛緩した身体にも異変が起こる。映像が途切れた後、彼の指先は、独立した生き物のように宙をうごめきだす。ボイエガの身体から発せられた力強い低音と大観衆の歓声が、今度は声だけが、空間内に響き渡る。鶴家の身体に指先から足先まで力がこもり、そして全身がその力に操られて震えだす。だがこの力は、いまだ集約されていない力だ。どこか自らが目指すところへ向かおうとするボイエガの力強さとは違う。髪を振り乱してガクガクと倒れる頭、獣のように折り曲げられた指、せわしなく立ち踏みをする足。その足が一歩を踏み出すことはなく、指が何かを指し示すこともない。その身体から荒い呼吸音が漏れ、途切れ途切れの肉声が搾り出される。それは、ボイエガの演説の声を聴く自分自身についてこう語る。
この、声を聴くと、何か、しなくちゃいけないかのような、動悸にも似た、感覚に襲われる。だけど、これが、興奮とか、欲求とか、呼応とか、はたまた、闘争心がかきたてられたとか、そういうわけじゃなくて、反応で、はじけてしまっている感じ。この、反応は、自分の回路とは、別のところの感覚で、だから、あたかも、衝動が、かき立てられているかのように見えても、ここから、動こうとはならない。もしかしたら、動かなきゃいけないのかもしれない。だけど、それはつながんない。
内的分裂の吐露。だが、ボイエガの声も、それに賛同する人々の声も、起爆剤になりこそすれ、この身体を導く引力にはならない。分裂を引き起こす力は行き先が定まっておらず、行き場のない力が内にこもったまま暴発している。その状況が、彼の身振りとなって現れている。あたかも自分は無関係であるかのような立ち位置から高みの見物をして、この錯乱した身振りを嘲るのは簡単だ。でも、この状況を直視するところから始めるのでなければ、私たちはどこにも行くことができないのではないか。—— ここであえて、「私たち」という言葉を使うことをお許しいただきたい。この言葉に許し難い傲慢さが潜んでいるのは認める。しかし、民主主義は、どこかでこの「私たち」という言葉の扱い方に直面せざるを得ないのだ。当面の妥協策として、私はこの言葉を、行き先未定で惑うこの状況を私と共有してくれそうな人たちを、かりそめに指すときにだけ使うことにする。
吐露が終わると、鶴家の身体は小刻みな震えから解放され、青い照明に照らされながら、舵を取り戻したかのようにうねり、流暢な台詞を語りだす。身体にこもる力に阻まれるようにして途切れ途切れの言葉を搾り出すのではなく、身体と声、言葉のリズムがリンクする。
人間ていうものは生きている間は短いんです、せめてその短い生きてる間、今よりもいい生活環境を作って、人生を楽しみながら、この世に生まれた喜びを感じながら、親も、子も孫も一緒に楽しい人生を送られるような社会を作ることが大事であります。
押し付けのない穏やかな口調と、耳に快い社会通念を語る言葉。だがそれは、肌の色から血の気を奪い、身体像をエイリアンのように異質化する青い照明と無機質な音響によって、そこはかとない不穏さを帯びる。そして、末尾の「大事であります」で、鶴家の手は幽霊のようにぶらりと落ち、身体は溶けるように床へと崩れ落ちた。それとともに、この文が持つ言葉の力もまた溶け消える。代わって響くのは、先ほどの甘言が溶け去ったところに到来する危機的状況を語る言葉だ。「混沌が渦巻いている」、「私はフランスに突如として大きな不幸が降りかかるのを見る。その名は独裁政治だ」、「ギロチンの階段に流れる血」—— そうした言葉が、観客の耳に飛び込んでくる。この危機的状況で、床に溶け崩れていた鶴家の身体は少しずつ骨格をなして身を起こし、「おお、市民諸君!」という呼びかけともに、バネのついた人形のように立ち上がった。「かくて共同体はあたかもアイシモスのごとくに動揺する」、「男子はすべからく女子に国政をゆだぬべきだと、私は主張する」、「日本人の生命はまだ悠久なのであります」、「アメリカよりもイギリスよりもフランスよりも、西ドイツよりも、貿易収支の黒字国は日本(にっぽん)だけだと言われておるではありませんか」—— すべて鶴家ひとりの声で聞こえてくる言葉は、どうやらそれぞれバラバラの地域や時代から来ているようだ。手元に配られた冊子には、アリストパネース『女の議会』、ゲオルク・ビューヒナー『ダントンの死』、田中角栄「昭和47(1972)年総選挙 遊説記録より」、ベルトルト・ブレヒト『アルトゥロ・ウイの興隆』といったタイトルが並んでいる。どうやらこのシーンは、古代ギリシア、フランス革命、戦後日本、ナチスドイツを行き来しながら、女性参政権のない民主主義、革命後の独裁政権と恐怖政治、甘言の裏の腐敗、「民主主義的」手段によって台頭する極右といった、民主主義の暗部を突くコラージュでできあがっているらしい。そして同時に、ときに怪しげな内容の言説を振りまいているにもかかわらず、「名演説」によって人々を動かしたとされる演説のコラージュでもある。それらを引用する鶴家は、それぞれの演説ごとに都度姿勢を変える。せわしなく、落ち着きのない身振り、指から肘までをぴんと伸ばした直線的な動き、だらりと腕を垂らし、前かがみになった姿勢——。それはオリジナル演説のリアリズム的再現ではない。おそらくは、おのおのの言葉から彼の身体へとなされた翻訳だ。疑わしさの青い光をまとったまま、演説の身振りを模索する試みでもあろうか。
コラージュからなる長い独白ののち、照明から青みが消え、大観衆に囲まれた人物の映像が唐突に映し出される。金髪のボブカットで、ニットワンピースのような服を着た人物だ。がっしりとした体格と広い肩幅。聴衆のブーイングの上に響き渡る、かなり割れた太い中音の声。単に大音量のマイクの音が割れているだけではなく、もともとが力強いハスキーヴォイスなのだろう。それはのちにレインボー・パレードに展開する、ラテン系移民かつトランスジェンダーのシルヴィア・リヴェラによる、1973年6月24日の演説だった。解説には、白人の「ゲイ」が中心だった当時のクィア・コミュニティで、彼女のような存在は「二重の差別構造」の中に置かれていたとある。マイクを握りしめ、一歩前に踏み出すような姿勢でひとつひとつ力強く言葉を紡いでいく彼女の姿が、画面に大写しになる。冒頭のブーイングはいつしか止み、腕を振り上げて叫ぶ彼女の言葉、声、挙動のひとつひとつに呼応するようにして、大きな歓声がリズミカルに上がる。—— 片や鶴家は画面の「お手本」を確認するかのようにちらちらと目線を投げ、首をかしげながら、リヴェラの姿勢と腕の動きをぎこちなく模倣している。リヴェラと比べると小柄で線の細い鶴家の身体と、「お手本」と似ても似つかない、ギクシャクした動作。しまいに彼は腕を振り上げたまましばし固まり、目を床に落としたまま静かに腕を下ろした。
「お手本」の模倣をやめた彼は、黙ってテーブルの上の紙——演説台本——を片付け、壁に立てかけられた木の板に貼り出し、そして台の上に立った。その台は木の椅子で、ビール箱程度の大きさだが、それでもまぎれもない「壇上」だ。いま彼はこの上演が始まって以来初めて、「壇上」に上がっている。ただしバレエダンサーのようにピンと伸ばした背筋でまっすぐ立つのではない。肩の力を抜いた、重心のはっきり定まらない立ち方、いわば「オフ日」の立ち方で、鶴家は観客をゆっくり見回した。
ダンサーです。体を動かすことが、プロフェッショナルです。言葉を使うことは、あまり念頭にはないでしょう。きっと、特別なことのような、あるいは、借り物のような、そんな感じを受けるかもしれない。まだ踊ってないって、いつからなんだって、思うかもしれない。劇場でもない。客席もない。違和感を感じるかもしれない。しかしながら、その違和感は何に対してですか。きっとこうなるだろう、っていう安心感から、逸れたからでしょうか。自分の考えがあたかも、言葉の意味をかたどっているかのような、錯覚でしょうか。言葉が、小さな歪な集合体なら、きっといつだって同じなわけでは、ないんじゃないか。そこに、軋轢と摩擦が生まれるなら、きっと、それは、自分の新しい言葉を持つチャンスなんじゃないか。誰と違う、かではなく、自分が何を持つか。それを誰か、に渡して、誰かから受け取れることなんじゃないか。誰も邪魔なんかしないし、強制もしないけど、自分の持つ「今」、それをすることができる。
このラストシーンは、鶴家自身の「演説」だ。マイクもメガホンもない。身振り手振りは最小限で、前のめりの姿勢になることもない。力強い叫びもない。高度なレトリックを駆使して構成されたわけではなく、むしろ日常の言葉遣いを保ちながら、探り探り紡がれる言葉。そして、肩の力を抜いた立ち方。しかしそこでは、「大勢の人を会して説を述べ、席上にてわが思うところを人に伝うるの法」、つまり「スピイチ」が、よそよそしくはないかたちで実現している。そこにあるのは、借り物の動きを模倣するのではなく、鶴家一仁というひとりの人間の立ち位置を曝け出そうとする態度、自らが語りかけようとしている人々の話しぶりに耳を傾け、彼らに向かい合おうとする姿勢だ。自らを過度に大きく見せたり乱暴に普遍化したりしない。自らの等身大を隠さない。そうした姿勢からつくりあげられていく動き。ダンサーとしての彼が他の「誰か」に渡そうとするのは、そうした「ダンス」だ。その場に集う観客ひとりひとりの挙動、上演空間外で繰り広げられる政治、社会、歴史、その過程で残されてきた言葉、そうしたさまざまなものの配置のなかに、脳や喉、口、眼を含む全身の動きを置いていく行為だ。何かに「踊らされる」ことに甘んじるのではなく、自ら踊ること。ただし、この踊りが配置の術なのだとするならば、それはもちろん、完全に自律的な行為ではないだろう。踊り手は、他の踊り手たちの只中に自分の場所を見出していかなければならないし、また自らのうちにも分裂を抱えているからだ。動きは、自他が衝突するところでそのつど生みだされていく。つまずきも、震えもまた、「私」の踊りになるのだ。
私たちはまだ、演説の身振りを知らない。でも、いやむしろだからこそ、演説台の前で立ちすくむのではなく、今いるその場所で「踊ること」から始めてみようじゃないか。—— 2025年の春、私はこの文章を綴ることで、あの日の踊りから何かを受け取り、また誰かに手渡そうとしている。この文章を打ち込む指は、もう踊り始めているのかもしれない。
針貝真理子(演劇学/ドイツ文学・思想)
[i] エリカ・フィッシャー=リヒテ『演劇学へのいざない』(山下純照/石田雄一/高橋慎也/新沼智之訳、国書刊行会、2013年)を参照。
[ii] カメラのファインダーは、ほんらい無数に開かれていたはずの視点を絞ってしまうし、ファインダーの窓枠に捕えられたイメージも、レンズやマイクを通して——良くも悪くも——加工されてしまう。
[iii] ただし、ドイツの演劇学にはすでにこのことへの批判があり、その反省に応じて書かれた論文も少なくない。
[iv] Vgl. Gerald Siegmund, Theater- und Tanzperformance, Hamburg: Junius, 2020.